三ない運動の何が問題なのか?[2]

「高校生の自動二輪車等の交通安全に関する検討委員会」会長に訊く

その2.三ない運動に必要な議論とは?

県教育委員会主催による検討委員会を経て、バイク通学の有無に関わらず、保護者同意のもと、学校への届け出等の条件により、全ての高校生がバイクの免許を取れるようになった埼玉県。これにより、今まで学校に隠れて免許を取りバイクに乗っていた生徒を含め、全てのバイク免許取得者に対して安全運転教育を施すための門戸が開かれた。その「高校生の自動二輪車等の交通安全に関する検討委員会」では、いったい何が議論されていたのか?

●「三ない運動をやめる理由がわからない」

委員の方の多くが「やめる理由がわからない」と言っていました。三ない運動によって高校生の命が守られ、事故も死者も減り、ずっと抑えられているのに、何でわざわざやめる必要があるのかと。そういう意見が一番多かったですね。

三ない運動というのは、日本の交通安全教育の特徴を表しています。「あの子たちは守られているんだから、何でやめる必要があるの?」という教育なんですよね、考え方としては。「三ない運動をやめることによって新たな事故が起きるでしょ。じゃ、どう責任を取るの?」という意見もありました。

●やめるか続けるかではなく、議論すべきはプロセス

検討委員会では、三ない運動をやめるか続けるかを議論したわけではないんです。心の中では永遠に反対だと思います。合意形成というのは、全員が満場一致で賛成ということはあり得ないんです。「三ない運動を続けますか、やめますか、どうですか?」なんて聞いていたら、結論は出ませんから。

高校生としての日常生活が脅かされないように、また、それぞれの高校における登下校のあり方を崩さないように、どうやってこの子たちに交通安全教育ができるのかという観点で議論しましょうと。

その時に、三ない運動を続けることを前提で話すのではなく、三ない運動がなくなって学習指導要項も変わり、高校生がバイクに乗り出すということを仮定した場合に、本当に大丈夫なのかどうかを話しましょうと。

交通安全教育が本当に実行可能なのか、やっているだけでなく意味のあるものが期待できるのか、それによって子供たちが本当に非行に走らないのか、いろんなことを多角的に議論して、問題がないのであれば最終的には三ない運動をやめましょうと。その上でやっぱり難しいとなれば、結論として三ない運動を続けるだけであって、議論するのは結論ではなくプロセスなんです。高校生が健全に安全な学校生活を送れるようにという点は全員賛成なんですよ。それが本当に維持できるのかどうかを議論しましょうと。

●考え方や懸念を整理する

その場の水掛け論で議論するのではなく、委員の考え方や懸念をきちんと書面で出してもらい、それぞれの状況に対してメリットやデメリットも整理しました。それをやることで、かまえていた委員の方々も、子供たちの健全な育成や交通安全意識の醸成といったことに対して議論が成熟していきました。

議論していく中で、県全体としてこういう流れでやっていくとなり、県の教育委員会が責任を持って交通安全教育をやっていくと宣言しているのだから、「じゃ、ちょっと見てみよう」という感じになったんです。(その3.につづく)

※写真はイメージです