なぜ、16歳でバイクに乗れないの?[1]

[1]三ない運動の始まりと拡大

国民は16歳になったら道路交通法に基づいて5種類の免許を取ることができる。
○原動機付自転車免許(第一種原動機付自転車・50cc以下のバイク)
○普通自動二輪車小型限定免許(第二種原動機付自転車・125cc以下のバイク)
○普通自動二輪車AT小型限定免許(第二種原動機付自転車・125cc以下のオートマチックバイク)
○普通自動二輪車免許(軽二輪・400cc以下のバイク)
○普通自動二輪車AT限定免許(小型二輪・400cc以下のオートマチックバイク)
※( )の中は道路運送車両法での車両区分・排気量
このように、法律上は免許を取れる権利があるのですが、学校が取ることを許可していないという話をよく聞きく。なぜだろう?それは「校則」で免許を取ってはダメと決められているからだ。

免許を取ってはダメという校則ができた理由は、今から約50年も前の1970年代にある。交通事故の増加や暴走族への対策として、一部の県や学校で決められたのが始まりと言われている。その後、1982年に全国高等学校PTA連合会が、バイクの免許を取らせない・バイクを買わせない・バイクを運転させないという「三ない運動」を採択。PTAは保護者の集まりだから、三ない運動を広めたのは高校生を子に持つ親達ということになる。その想いはもちろん「我が子の命を守りたい」というものだった。

だから、三ない運動は、文部省(現文部科学省)が始めたものではない。行政が主導したのではなく、PTAという保護者の組織が全国大会を通じて広めていったものなのだ。ただし、現実的には文科省の意向を汲んでいる各都道府県の教育委員会や学校が、PTAと一緒になって三ない運動を黙認、自治体によっては教育方針として学習指導要項に取り入れて推進してきたことも事実。

三ない運動が始まった1980年代は、国内市場でバイクが最も売れていた時期だ(最大で年間320万台・1982年)。毎年、多くの機種がモデルチェンジを重ね、様々なカテゴリーのバイクが登場し、歴史的なバイクブームが起きている。ここで三ない運動が始まり、生徒手帳に「免許取得が発覚したら停学、免許は卒業まで没収」と記されていても、たくさんの高校生が学校に隠れて免許を取ったのだ。

そんな高校生がバイクの事故で亡くなるというケースも増え、社会問題にもなってしまった。三ない運動は、公共交通の不便な一部の地域・学校を除き、公立や私立を問わず、校則に盛り込まれることが当然のことのようになってしまった。

※写真はイメージです

report&photo●田中淳麿