「高校生の自動二輪車等の交通安全に関する検討委員会」会長に訊く
三ない運動の何が良くて、何が悪かったのか? その功罪を埼玉県の「高校生の自動二輪車等の交通安全に関する検討委員会」で会長を務めた、中央大学研究開発機構准教授の稲垣具志氏に伺ったお話を4回に分けて掲載する(肩書きは検討委員会開催時。2020年現在、日本大学理工学部交通システム工学科助教)。
その1.三ない運動の功罪とは?
三ない運動という社会運動は、PTAという保護者からなる組織によって全国的に拡大され、その過程で、各都道府県の教育委員会が教育・指導方針として学習指導要項に取り入れるなどしたことで、各高校の規則・校則に取り入れられていった。
全国高等学校PTA連合会が全国的な展開をやめた今でも、各高校の校則から三ない運動に関する記述が無くならないのは、三ない運動が「生徒をバイク事故で死なせない」という点において、教育現場関係者から評価されてきたからだ。
しかし、社会情勢や交通情勢が変化し、選挙権年齢も18歳以上に引き下げられるなど“大人”というものの概念すら変わりつつある今、様々な足かせとなっていることも指摘されている。
●三ない運動は、当時の緊急措置
三ない運動というのは、歴史的に考えるなら緊急措置なんです。当時は、とにかく対策を打たないと高校生が死んじゃいますよと。暴走族が社会問題化したり無謀な運転で命を失うことがあったから、緊急措置としての三ない運動には非常に意味がありました。これは高く評価すべきです。
一方で、三ない運動の効果が出てきて死者も減り、社会情勢も変化した今、約30~40年前に行った緊急措置が現在の交通社会の安全を考えるにあたってふさわしいかどうかを再検証する必要があるはずです。
日本の交通安全教育というのは、けっこう消極的で、すごく対象者を守ろうとします。ガードレールや信号機を作れとやっていて、守るという意味においては功を奏していても守られた子供たちが実際の交通社会の中でどういった所作で動くべきなのかなど、教育の機会が失われている状況なんです。
小学生の集団登校で言うと、上級生が下級生を見張っているという程度。イギリスでは、集団登校は「Walk In Bath」と言って、その中で交通安全教育を体系化しています。役割演技法を用いて上級生が下級生に対して「ここはどういうことに注意すべきか」「こういうことは絶対にやってはならない」ときちんと教えるんです。こうすることで双方の意識が高まります。
●教育の主体が子供ではない
三ない運動も同じです。高校生をバイクに触れさせないことで守られてはいます。三ない運動をやることで、教育に乗っかる子供たちの何かしらの成長に寄与することが行われているのであれば構わないですが、ただ単に、バイクに乗る機会を3年間遅らせるためだけのものだったら意味がない。
「私が教育者としてこの子らの面倒を見ないといけない3年間は、この子らはバイクで事故に遭うことはありません」というだけでは、主体が、教育を受ける子供たちになっていません。どちらかと言うと、管理する側の視点で言っているものなのです。高校生が生涯に渡って事故の当事者とならないために必要なことは何なのかを考える必要があります。
(その2.につづく)